…… 2008年12月04日

『とにかくもう、学校や家には、帰りたくない/故,尾崎豊:談』

お陰様をもちまして、私の体調は完全復活となりました。
療養中、メールにて色々と『解熱法』や『咳止め法』を
教えて下さった方々、本当に助かりました。
心よりお礼を申し上げます。有り難う御座いました。
ところで...!
前々回のブログ『突撃!隣の大太鼓』では、同一内容で数件の
お問い合わせを頂きました様なので、今回はそのご質問にお答えを
させて頂きたいと思います。
ご質問の内容とは、前々回のブログ写真にご登場を頂きました
『太鼓の師匠(太の鼓KID)』は『弐代目(私)の息子ですか?』
...と言う事であります。
しかし、あの小柄で小粋な『太鼓打ち』は、
残念ながら私の息子ではありません(実話)。
いくら『やっぱ後ろ姿が英次サンにソックリですねぇ♪』
と言うご感想を述べられましても、また、『おいくつなんでちゅかぁ?』と
『赤ちゃん語』でのご質問を頂きましても、残念ながら私の息子では
無いのです(実話)。
労働先の女性派遣社員には
『アンタ(私)に、あんな小さな子供が居たんだぁ?...ふぅん...あっ、そ!!』
と謎の軽蔑を受けましても、それでもやはり残念ながら、
私の息子では無いのです(実話)。
なぜなら、私の一人息子であります『英太郎』と言いますのは、
早熟だった父親(私)に似た為か、僅か17歳にして『早すぎる伝説』を
求めて家出をしてしまっているのです。
太鼓どころではありません。
今もドコかの町で元気に暮らせていれば、確か今年の12月7日で20歳を迎えます。
3年前の夜、最期に彼から聞いた言葉は
『とにかくもう、学校や家には帰りたくない』でした。
17歳の地図を探しに、盗んだバイクで暗い夜の帳(とばり)の中へ
走り去った英太郎。今頃どうしているのやら。
ちなみに妻の紅音(あかね)は
『生まれ故郷の財政難を救いに帰らせて頂きます...』と書き置きを残し、
単身で北海道夕張市に里帰りをしています。
それにしましても余りに長い里帰りですので、
思い切って先日お手紙を出しましたが『届け先不明』と
言う事で我が家に戻って来てしまいました。
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なのでもう、かれこれ15年位は
紅音に逢っておりません。
今頃どうしているのやら。


...と言う訳でありまして、
今回はお寄せ下さいました
ご質問に、お答えをさせて
頂きました。

ではでは、
今後ともどうか
宜しくお願い致します!
追伸/突貫ストラップ
(1個千円)のお申し込み
(実話)と、英太郎の
目撃情報はコチラまで。


tokkan2008@ezweb.ne.jp

極東PUNKS/
突貫鼓僧/
村井英次

…… 2008年12月06日

『イッツ・ア・スモールワールドin鼠園』

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皆様、本日もお疲れ様で御座います。
今宵の我々は、12月7日に生まれた
ケニーちゃんの、一足早い『お誕生パーティー』
を地味ィに楽しんでおります。
ちなみにケニーちゃんが産院で収穫された
12月7日の翌日にあたる『12月8日』は、
世界近代史におけます大惨劇の一つ
『太平洋戦争(大東亜戦争)』が勃発した日。

日露戦争以後の『オレンジ計画』と言う、
日本に向けられた戦闘シミュレーション。
そして『排日移民法』と言う理不尽な差別法案。
更には『ABCD包囲陣』と言う、徹底した経済封鎖。
そして極めつけは『ハルノート』と言う、
驚異の最終通告...。

これでは私達の祖父や祖母、曾祖父や
曾祖母の大半は『大好きな人達を守る為』に
闘わざるを得なかったのかも知れません。
しかし、いかに『闘わざるを得ない状況』
であったにせよ、また、日本が先陣を切って
闘った事によって『東アジアの国々』が次々と
『白人列強』から解き放たれて『独立』に成功したにせよ、
なるべくならば、やはり争い事などは無い方が良いのです。
わざわざ戦争で殺し合ったりしなくても、放っておいても
『人間の死亡率は100%』なのですから、大丈夫な訳なのです。
されど、先の大戦から63年が経過した今、なおも変わる事なく世界中で
紛争が続いていると言う哀しい現状があります。

これはおそらく、戦争を推進している各国の首脳陣は『鼠園(Disneyland)』の
『イッツ・ア・スモールワールド』を訪れた事が無いと言う事なのでしょう。
『みんなそれぞれ助け合う、小さな世界♪』を知らぬとは、誠に可哀想な方々です。
公務が多忙で鼠園に行く時間が無いのなら、せめて我々のイベント『突貫劇場』
にだけは足を運ばねばなりません。

突貫劇場を観ずして『国政』などに手を出してはダメなのです。
市議会、村議会にさえ名乗り出る事は許されません。
町内会での活動も、一切認められません。

ところで、山梨県大月市に保存されていますギネス級の和楽器『世界平和太鼓』
ですが、12月7日(日曜日)に雨さえ降りませんでしたら、この日に私(弐代目)と
小泉謙一(筆頭若頭)は、微力ながら『世界平和への万感の想い!』を込め、
『世界平和太鼓』をお借りして突貫させて頂きたいと思います。
地元(大月市)の太鼓チーム『紅富士太鼓』の皆様、この様なシーンをご提供下さいまして
本当に有り難う御座います。
当日はケニーちゃんと二人で『一張羅のスカジャン』を羽織って上陸させて頂きます。
ちなみにスカジャン(横須賀ジャンパー)は、日米文化の競演であり合作です
(アロハシャツも同様)。
たかだか時代遅れのジャンパーやシャツと世界情勢は全く違いますが、それでもきっと
『世界各国が互いの魅力を提供し合い、機能的に融合し、皆が平和に楽しく暮らす事...!』
を願いますのは、万国共通の想いなのかも知れません。
そしてまた、突貫鼓僧の願いも『世の中、安穏(あんのん/穏やか,和平)なれ!』
...と言う事なのであります。
それでは、また!
極東無双/
突貫鼓僧/
村井英次

…… 2008年12月10日

『紅富士漫遊記』

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今を去ります12月7日(日曜日)の
雲一つ無い晴天の朝。
私は『一匹鯉』がデザインされた
戦闘服(SCRIPTのスカジャン)と、
銀無垢で装飾された戦闘ゴーグル
(A'rossvyのグラサン)に身を包み、
小泉ケニー君の愛車『ケニョリータ号』
の助手席へと乗り込みました。
そして我々は『ナウな登山家が集う町』
として全国から注目度No.1の
『山梨県大月市笹子』へと向かったのです。
しかしその目的は山へ登る事では無く、
大月市の名物『世界平和太鼓』の舞台に
登りゆく為であります。
道中、萌える紅葉に目を奪われつつ目的地の
『酒遊館(笹子にある道の駅の名称)』に
到着しますと、そこにはなんと!...
『ワンルームマンション位の大きさの太鼓』
が置いてありました。皮が破れてさえいたら、
中に住める大きさです。
その太鼓を横目に期待と不安でケニョリータ号から下車しますと、
突然、そこに一人の麗しき御婦人が『あのぅ...ファンなんで一緒に写真を撮って頂けますか...?』
と、信じ難いお言葉を掛けて下さいました。
私は内心、『はて?もしかしたら私を地元の紅富士太鼓の誰かと間違えているのでは...??』
と真剣に悩みましたが、お写真をお願いされる事など『4年に1度くらいしか起こらない
超常現象』ですので、その麗しき御婦人の気が変わらぬ内に慌てて撮って頂きました。
本当に嬉しかったです。有り難う御座いました。
さて、記念撮影を終えると今度は早速『紅富士太鼓』の『石岡会長』にご挨拶をさせて
頂きました。石岡会長は誰が見ても一目で『人格者』と分かるジェントルマンでして、
おそらく地元の大月市でも『名士』と言われる人物なのでしょう。
地元の所沢市を歩いているだけで『職務質問』をされます私とは、何かが違います。
それはさておき。

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その石岡会長に許可を貰いまして、
我々は早速『世界平和太鼓』の
試し打ちをさせて頂きました。
いざ巨大な太鼓の前に立ちますと、
楽器と言うよりは『高松塚古墳の壁画』
の様な迫力であります。
しかしそれは、その大きさ故(ゆえ)に
『ドコを打っても音が響く』と言う事なので、
打点の高さが自在に調節出来まして、
意外にも『打ち易くて快感』なのでした。
すっかり『世界平和太鼓』が気に入りました
私は、石岡会長に『あのぅ...ホントにこの太鼓、
私ごときが頂いちゃっても良いんですかぁ?』
とボケようかと思いましたが、別に余り面白い
ボケでもありませんし、勇気が無かったので
止めました。
さて、そうこうしていると『突貫鼓僧愛護団体』の『練馬支部長』や『チーム紅音鼓(あかねこ)』
の面々が陣中見舞いに来て下さいました。また、今回は『中野支部長』も初めて現場まで
激励に来て下さり、とても嬉しく心強かったです。
そして、いよいよ午後2時から『世界平和への祈り(本番演奏)』が始まりました。
この日も相変わらず『アイドル路線』を爆走する私のパフォーマンスは華麗で
可愛らしかったのですが、何故か今回もオーディエンス(お客様)からは微妙な失笑を
頂戴しつつ、それでも無事に最後まで突貫する事が出来ました。
これも全て、あの場に居合わせて下さった温かい方々(お客様)と紅富士太鼓の
メンバーのお陰様であります。

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そして、突貫劇場が終わりますと
素早く楽器を入れ替えて、この日の『真打ち』
であります紅富士太鼓の演奏が始まりました。
世界各国を打ち歩く彼等の演奏は、
楽曲,構成,動き,の全てが流暢(りゅうちょう)
でして『お見事!』の一言。
やはり私の『前座立候補大作戦』は
成功だった様であります。
前回の『ギャザリング2008』の時も
そうでしたが、他のチームによる
『素敵な演奏』の後に出演するのは
嫌なのです。
『登校拒否児童』の様になってしまうのです。
なのでイベント先で『嫌な予感』を感じた時は、
率先して『前座立候補大作戦』を決行するに
限ります。
そんな訳でして突貫鼓僧、実は自分達の
『ワンマンLIVE』以外、『真打ち』を
務めた経験がありません。
いつだってイベント前に『嫌な予感』が
走るからであります。
極東No.1の『前座職人』で御座います。


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さてさて。
こうして全ての本番が終了した後は、
そのまま現場(酒遊館)にて
紅音鼓ちゃん達と『ケニー師範降誕祭』
を開催しました。
この会は2ヶ月前の10月に産まれた
『私の誕生会』も少しだけ兼ねている様
でしたので、周囲のリクエストにお答えし、
我々2人で皆の分のケーキを切ったのですが、
それがまた非常に『不気味で危険な写真』
となってしまいました。
手に手を取っての『ケーキ入刀』などで
『あらぬ誤解!』を受けぬ様、以後、
細心の注意が必要かと思われます(実話)。
ともあれ、本当に充実した良い一日を
過ごす事が出来まして、あの日に関わって
頂いた全ての方々に『大貫謝っ!』でありました。
まだまだ書き足りぬ事だらけですが、誌面スペースの都合上、後ろ髪を引かれつつ
(髪、無いですが)漫遊記はこれにて終了。
山梨県大月市の『酒遊館』、そして、そこに設置された『世界平和太鼓』、
そして、それを保有する『紅富士太鼓』、それら全てに『Zokkon命(ラブ)/byシブガキ隊』
となりまして、ケニョリータ号で彩の國(埼玉)へと帰還しました。

萌える闘魂/
突貫鼓僧/弐代目/
村井英次

…… 2008年12月17日

『暮れの元気なご挨拶』

さてさて。
少しづつ師走も深まり、いよいよ本年も
『大千秋楽』へと近づきつつある今日この頃。
突貫鼓僧の関係者からも数件の『お歳暮』を
頂いたりしまして、本当に有り難い限りです。
今回、その中からご紹介させて頂きます写真は
『初代突貫鼓僧』として激動の90年代を駆け抜けた男、
『山田貫太郎師』より頂きました『濃縮果汁セット』です。

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さすがは『都会のナウな台所』として
有名な居酒屋『楽屋(港区新橋3丁目)』
を経営する料理人だけありまして、
健康への細やかなる気配りには
泣かされます。
あの『広辞苑』にまで掲載されている
伝説の劇団『新国劇』で、劇団解散までの
長きに渡り『夜の人気者』として
君臨し続けた役者(貫太郎)ともなりますと、
お歳暮一つにしましても気が利いているのです。
貫謝貫謝っ!
...それにしましても、不思議な事に
『小泉謙一君』からの品物が、
どう言う訳か今になっても我が家に
配達されておりません。
まさか私が小泉君から『何も頂けない』などと言う事は
『絶対に有り得ない!』でしょうから、おそらく宅配便の『クロネコヤマト』
あたりによる『何らかの手違い』なのでしょう。
しかし、手違いでは困ります。
やはり、これからの時代は『クロネコ』よりも『紅音鼓(あかねこ)』と
言う事なのかも知れません。
それでは、小泉君からの『素敵で高価な贈り物』を楽しみにしつつ、
明日の『派遣労働』に備えて眠ります。
グッド・ナイト・ベイビー(ザ・キングトーンズ)♪
(*v_v*)zzZ。。。

突貫鼓僧/村井英次

…… 2008年12月22日

『イヴイヴアタック』

今年もモミの木が美しく飾られ、いよいよ
『伴天連(バテレン)の降誕祭』が近づいて参りました。
しかし、遠く『フィンランド』からソリに乗り、トナカイを虐待......
いや、可愛がりつつ走らせて、わざわざプレゼントを
持って来て下さると言う『奇特なオジサン』に甘えている様な
我々ではありません。


欲しい物は自身の労働で入手しますのが
『突貫トラディショナル(伝統)なのであります。
と言う訳で、今年も我々は『サンタクロース不法入国の前日』
であります12月23日(火)に、『法灯(歴史)500年』を誇る大寺院へ
『報恩太鼓』と言う演奏を奉納しに行って参ります。
この演奏、寺院ご近所の方々以外は仲々お見せ出来ないのが残念ですが、
ここでの本番は通常のアタックとは違い、『突貫鼓僧の裏番組』
とも言えます珍しい演奏であります。

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やはり、せめて一年に一度くらいは
『普通に行儀良く演奏すれば、
それっぽくシッカリ出来るじゃん』
と言う部分を、私自身が確認して
おかなければなりません。
いつまでも
『行儀良く真面目なんて出来やしなかった
/by故,尾崎豊(卒業)』
ではいけないのです。

その意味におきましても、
この『報恩太鼓』の御依頼は
私にとって大変に有り難い体験
と言えるかも知れません。
そして、今宵は小泉ケニョ君と
本番に向けての稽古です。
こうして日々、好きな道(人生)を
歩める事への貫謝(感謝)を込めて、
その御恩に報いつつの稽古なのでありました。
次回はお正月早々の初陣、
『原宿旋風!』についての告知を
させて頂きます。
この参戦は、突貫テイスト炸裂です。
ではでは。


突貫鼓僧番格
村井英次

…… 2008年12月26日

『2009初陣/原宿旋風』

突貫鼓僧、本年度のラストダンスとなりました
『イヴイヴアタック(23日)』ですが、私と小泉ケニョ君、
ともに『痛恨のミスショット』をしたものの、何とか無事に
終演する事が出来ました。
やはり、演奏中に手順を間違えた場合には、
決して慌てずに『大声を出して強引に仕切り直す!』のが
一番の様であります。
そうしますと大抵の場合、それが『仕切り直しへの合図』などとは
思われず、お客様には『さすがは大太鼓! ああやって叫びながら気合いを
入れて打つ楽器なのか。凄い迫力だなぁ...』と受け止めて頂けるからです。
したがって私が演奏中に絶叫しました場合、それは『気合いを入れる』
と言うよりも、『しまった! 次のフレーズが思い出せねぇ...。
こうなったら最初から打ち直そう...。ケニョ君、
もう一回どアタマから演奏するZ!』と言う『仕切り直しへの合図』である事が多いのです。
もしも私が演奏中に
『ひとーつ(1)!』
『ふたーつ(2)!』
『ふぅ(2)!』
『よぉ(4)!』
『むぅ(6)!』
『やぁ(8)!』
と叫びましたら、その絶叫は怪しいかも知れません。
無論この声、時には合図でなく『本気の根性注入シャウト!』として
使用している場合もあるのですが、この掛け声を『15秒以内に2回』
も使いましたら、さすがにそれは多過ぎです。
おそらく、演奏手順を忘れた上での『パニックシャウト!』である事は
間違い無いと言えますでしょう。
ちなみにイヴイヴアタック(23日本番)では、この掛け声を
『8秒間に2回』も使用してしまいました。
これは明らかに『仕切り直し』へのお誘いであり『合図』です。
されど、その合図(掛け声)以降の我々の仕切り直しは完璧でして、
その演奏は、もしかしたら『間違えなかった時の曲』よりも良かった様な気さえしました。
これこそが古来より武州埼玉に伝わります神話の一つ、『突貫マジック』なのでしょう。
さて、こうして『神がかり的』な『突貫マジック』に救われた我々ですが、
本番終了後は現場の可憐な『事務スタッフ』さん等に美味しいお弁当を頂き、
食べ終えますと再び労働の為に東京へと向かったのでありました。
いつだって『売れっ子』は辛いのです。

それはそうと、来年の一発目(初陣)として我々が上陸しますのは、
70年代から80年代にかけて鮮烈なデビューを果たし、その斬新なる印象を
全国に定着させた伝説の街『原宿』に決定致しました。

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2009年1月3日。
常に原宿の流行をリードして来た聖地、
あの『ラフォーレ原宿』の入り口に
設置された特設舞台において、
私とケニョ君は2009年度の初陣を飾る
事に決めたのです。
我々の正装であります『純白と鉄サビ色
の変形飛行服』を着用しましてのラフォーレ
上陸に、早くもナウなティーンエイジャー達の
『失笑』が目に浮かびますが、そこは余り
考えない様にしなければなりません。
いつだって大切な事は、我々こそが時代の
最先端を疾走する『トレンディ発信基地である!』と、
信じて疑わない心なのです。
この初陣は、当日の昼,午後,夕方の全3ステージ
でして、演奏時間は各25分前後です。
詳細は、小泉ケニョ君のコーナーで発表させて頂きます。
お正月、明治神宮に初詣の御予定があります方は、
その帰り道に『突貫詣(もうで)』もされます事を推奨します。
そして、そのまま『ラフォーレ原宿』の館内で、数々の素敵な店舗を探索しつつ
『豪華な福袋』を購入して頂いたりしますと、
2009年の『開運招福』は間違い無し!...と言う訳でございます。
来年早々の『原宿旋風』、どうか宜しくお願い致します。
それでは、また。
突貫鼓僧/村井英次

…… 2008年12月30日

『ラストソング/by吉岡秀隆』

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お陰様で、ついに本年度も
ラストソング(最終更新)を
迎えます事が出来ました。
これも皆、いつも応援して
下さる方々のお力によるものです。
有り難く存じます(泪)。
ところで、先日は私の
プライベート教室
『仔音鼓(こねこ)
パーカッション倶楽部』
と言う和太鼓教室の、
記念すべき初日でありました。
しかし、とにかく私、わざわざ重い和太鼓を出すのが大嫌いですので、
色々と考え抜いた結果『最初からスタジオに設置されているドラムセットを代用する』
と言う、素晴らしい作戦を企(くわだ)てました。
そう致しましたら、なんと事前に情報が漏洩したらしく『生徒のキャンセル』が相次ぎ、
当日の会場となったスタジオには『私の姿』しかありませんでした。
余りにも寂C開校式です。
仕方が無いのでスタジオのスタッフさんに頼み込んで『仔音鼓誕生』の
記念写真を無理矢理に撮影して頂き、これにて2008年度の音楽活動は
全て終了と相成りました。

我ながら最後の最後まで見事に『翼の折れた中年』ぶりを発揮してしまいましたが、
ともあれ来年も宜しくお願い致します。
向寒につき、火の元にはくれぐれもご注意を!
『火の用心 近藤真彦 火事の元』
...失礼致しました。
らびゅ♪
追伸/『突貫エンタテイメント』のアドレスは、今まで『2008』と言う数字が
入っていましたが、新年度を迎えるにあたりまして、装いも新たに
tokkankozou@ezweb.ne.jp
...と、変更させて頂きます。
紅音鼓や仔音鼓に関します事、また、その他にも
何かございましたらお気軽にご連絡下さいませ。
本年も最後までお付き合い下さいまして、誠に有り難う御座いました。
突貫鼓僧/
村井英次


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